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民謡界期待の星 梅若三姉妹
浅野江里子 浅野晴香 浅野婦美子


 農村の慰安としての意味合いを持っていると言われている民謡の多くは農村で生まれ、曲調もテンポがゆっくりしたもの、さびしい曲、素朴な歌、そして陽気な歌などさまざまで、これらの殆んどが踊りを伴なっている。  また、北海道や東北の厳しい気候の中で生まれた民謡と九州・沖縄の民謡とでは曲の感じも違い、中でも東北は民謡の宝庫、とりわけ秋田は民謡王国といわれ、全国でも有数の民謡が盛んな地域である。
 秋田民謡の多くは、秋田おばこ節や秋田音頭などに見られるように、全体的に酒席などで唄う明るく楽しげな曲調の歌が特徴だという。
 そこで、今回は秋田の民謡界はもちろん、日本の民謡界を代表しリードする秋田梅若会に内弟子として入門、民謡日本一の座を確実に自分のものにしている梅若三姉妹・浅野江里子さん、晴香さん、婦美子さんの3人にスポットを当ててみた。



浅野江里子さん【秋田県出身】

 浅野江里子さんと言えば「民謡会のサラブレッド」と誰もが声を揃える。それもそのはず、江里子さんは「民謡名人位」の浅野梅若さんを祖父に、また、「民謡日本一」の浅野和子さんを母に、そして、三味線と尺八の伴奏家・梅若梅貢さんが父という民謡一家に生まれ育ったのだ。
 祖父母の影響を受け、民謡を唄い始めたのは4歳からだが、本格的に民謡歌手を目指したのは高校に入ってからだったという。
 昨年11月には、男鹿市民文化会館で行われた「秋田船方節全国大会」において優勝、12ある秋田民謡全国大会の内、7つ目のタイトルを手にしたのである。ちなみに初優勝は平成13年の「秋田馬子唄」だったという。  しかし、受賞回数が増えれば増えるほど、プレッシャーで押しつぶされそうになり、悩みながらも母を目標に走り続け、今では唄だけでなく梅若三姉妹のまとめ役として司会にも力を入れている。
 ストレス解消法を聞くと「食べることと買い物です(笑)。ただ、時間がなくなかなか買い物にいけません。でも、月1回位は3人(江里子・晴香・婦美子)で出かけ別々に買い物を楽しんでいます」と大きな目を輝かせ笑顔で語った。
 尊敬する人物は?の質問にすかさず「母親です。限りなく偉大な女性であり、強く優しく、そして面倒見がよく尊敬しています」と答えた。
 また、世界で通用する民謡界のプロダクションを作ることが夢だと話す江里子さんは「夢を実現させるためには、自分自身がいつでもどこでも動じることなく歌えるような丈夫な心と身体を養い、そして世界に飛び立つことだと考えています」と語った。
 日本を始め世界で通用する民謡会の女王として大空に羽ばたく江里子さんに大いに期待が高まっているのだ。



浅野晴香さん【宮崎県出身】

 “日本各地で歌い継がれてきた日本民謡は、どこか私たちの心に響いてくるものがあります”と民謡に魅せられた晴香さんは、小学校卒業と同時に12歳で親元を離れ、単身で浅野梅若師匠のもとに弟子入りした。  現在18歳になった晴香さんは、唄だけでなく三味線や踊り、礼儀作法などを学びながら、民謡の幅を広げるため頑張っている。
 中学2年の時、生保内節全国大会ジュニアの部で初優勝したときは、素直に嬉しさがこみ上げたが、秋田長持唄全国大会での優勝は予想外のことで自分自身が驚いたと言う。
 晴香さんは「優勝曲は、いつどこで何回唄っても同じように唄えるようにならなければならないと思います。そのためにも自分自身を磨くことがとても大切でありいつでも修行です」とはにかみながら純真な乙女心を覗かせた。
 秋田の印象について聞いてみると「教科書で習った秋田は、家の2階まで雪が積もっている写真でした。ところが、実際秋田に来て見ると雪がないのでびっくりしました。それから何か物事があると手づくりの“がっこ”をもってきたり、心のこもった手づくり品を持参してみんなで食べたり…と秋田の人と人の交流にもびっくりしました」と語った。
 踊りや尺八、三味線などの腕前もさることながら、唄の上手さでも定評のある晴香さんは、好奇心旺盛な梅若三姉妹の末っ子。民謡会の期待の星として将来が楽しみなひとりである。



浅野婦美子さん【兵庫県出身】

 婦美子さんは、平成16年4月、高校卒業と同時に浅野梅若師匠のもとに内弟子として入門、現在、唄だけでなく三味線や尺八、踊りなども修行中である。
 もともと和楽器に興味があった婦美子さんは、中学2年で三味線を習いはじめたが、民謡に興味を持ち始めるまでさほど時間はかからなかったという。
 民謡の魅力について「民謡は労働など集団の場において自然に発生し、現代に歌い継がれています。歌う人によって節回しも違うし、民謡は勉強すればするほど奥が深く面白く、技術面でも凄さを感じます」と話す。  また、秋田の印象を聞いて見ると「びっくりしたのは寒さと雪、兵庫県にはない山菜を初めて食べたことでした。それから、秋田弁もなかなか理解できず戸惑いがありました。しかし、今は積極的に秋田弁に挑戦しています。すっかり秋田に馴染んだせいか兵庫より秋田が楽しく自分にあっていると感じています」と語った。
 稽古の時間は?との質問に「浅野家はそのまま勉強の場ですから、稽古の時間を特別作らなくてもここにいること自体が勉強です」と内弟子の素晴らしさを強調した。
 将来の夢は身も心も筋道の通った人間になり、民謡を続けることだときっぱりと言い切る。
 持ち前の明るさでこれから民謡歌手としての才能を大きく花開かせる期待の星そのものである。



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