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江戸庶民のあこがれ 高級遊女・花魁



 遊女とは遊郭で働く女郎さんのことで、太夫とはもともと上方で使われていた最高級の遊女の格を表していた。
 また、花魁は、江戸に吉原ができた時に見習いの少女が太夫のことを「おいらんちの姉さん」といった事が始まりだったそうで、遊女の中では一番ランクが高いのだという。このように花魁は才色兼備の最高峰ともいえる存在で、とてもなろうと思ってなれるものではなかったのだ。
 さて、一流の遊女になるためには大変な努力が必要で、7・8歳の比から14・15歳まで徹底的に和歌や古典、三味線などを仕込まれる。そのため、かなりの教養があり、芸達者で話術に長けた美人で気配りもできて床上手だったという。また、花魁の着物やかんざし、座敷は輸入物など贅を尽くした一級品ばかりで、これらを手に入れるまでの道のりはかなり険しく、遊女が何千人いても最高位の花魁には数名しかなれなかったという。
 また、遊女にもランクがあり、上は1人約10万円位かかったというが、では10万円あれば吉原で高級遊女と遊べるかといえばそうではなく、花魁一人だけでなく、番頭や新造、妹分の女郎さんや芸者さん、料理人や船頭さんなどたくさんのスタッフを呼ぶために、それぞれにお金がかかったというのだ。お客さんはここでケチケチしたら花魁に嫌われてしまうので、大判振る舞いをしなければならず、そのため、1回数百万円はかかったという。
 しかも吉原には独特なルールがあり、お客さんはそのルールをきっちり守らなければならなかったし、お金をパッと使い、しきたりを守ることが楽しみだったともいえそうだ。遊女もお客さんに嘘をついたり、他のお客さんに嫉妬させたり、気を持たせたりとあらゆる手を使い、男の理想の女を演じたのだという。
 一般庶民はそんな高級遊女に会うことはできなかったが、花魁がモデルになった浮世絵を見たり、噂話をしたり、人気の遊女について書かれた本を読んだりして楽しんでいたのだ。しかし、幕末になって、吉原文化は衰退し吉原の中で作られ、理想の女を演じ続けた花魁も今では夢幻となってしまった。 

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